明治用水eラーニング | Meiji-Yousui e Learning
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都築弥厚
(
つづきやこう
)
は
莫大
(
ばくだい
)
な私財を投入しながらも水路は実現できず、失意の底で
病没
(
びょうぼつ
)
します。
彼
(
かれ
)
の借金は現在のお金で約11~22億円あったといいます。
しかし、
弥厚
(
やこう
)
の計画は死後40数年を経てよみがえります。
明治7年、
岡本兵松
(
おかもとひょうまつ
)
、
伊豫田与八郎
(
いよだよはちろう
)
らが愛知県に計画書を提出。様々な困難を乗り
越
(
こ
)
えながら、明治12年(1879)1月、ついに明治用水の工事が始まりました。
しかし、
弥厚
(
やこう
)
の例でも分かるように、水路の
開削
(
かいさく
)
には
莫大
(
ばくだい
)
な資金が必要となります。
同じ年の10月に始まった福島県の
安積疏水
(
あさかそすい
)
(用水)も国費100万円を投じています(『安城市史』より)。
さて、明治用水は国の補助を受けていたのでしょうか?
答えをクリックしてください
A
安積疏水
(
あさかそすい
)
と同じく
国営事業だから
国の補助金による工事
B
愛知県からの
補助を受けて完成した
C
民間の資金だけで
完成した
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