Lesson4 4時限目 碧海大地のバイオスフィアを造った明治用水

正解 C ゴミや汚水おすいなどによる水質汚濁おだくを防ぐ
明治用水の完成によって、この地域は農業のみならず、愛知県を代表する工業地帯としても発展しました。それにともなって人口も増え、田んぼや水路のまわりにも住宅や工場が建ち並ぶようになりました。
そこで問題になったのは、工場汚水おすいや生活汚水おすいの混入です。また、水路には生ゴミや粗大そだいゴミなどが投げまれるようになりました。
この問題に対処するため、明治用水土地改良区では昭和45年(1970)より国営「矢作やはぎ川総合農業水利事業」を導入し、パイプライン化を進めてきました。なお、この事業は都市用水との共同事業であり、同事業によって明治用水は農業用水だけではなく上水道、工業用水としても共用されるようになりました。
水路のパイプライン化により、人身事故の根絶、節水効果の向上、水管理の高度化、水質汚濁おだくの防止などが可能となりました。

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明治用水eラーニング|Meiji-Yousui e Learning

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「矢水協」って何だ !?

水はあらゆる生命、産業の源。西三河が農業・漁業・工業などの領域で著しい発展をとげたのは矢作やはぎ川のおかげであると言っても過言ではありません。その矢作やはぎ川が有史以来の大ピンチに見われました。

ころは1960年代。日本が高度経済成長をひた走っていた時代の話です。まずはセメント用山砂利や陶土とうどなどの採取業者が採取した土砂を川で洗い、矢作やはぎ川をよごしました。
続いて自動車関連の工場が次々にこの地に進出、薬品でよごれた工場廃水はいすいを川にたれ流し始めました。さらに上流山間部の乱開発。宅地やゴルフ場の造成工事で山林を伐採ばっさい、大雨のたびに大量の土砂が流出して、矢作やはぎ川は黄色いヘドロの川と化してしまいました。

ノリやアサリの養殖ようしょくは大打撃だげき、明治用水の水も悪化しいね被害ひがいも続出。業者や役所に抗議こうぎを続けたものの、工業優先の思想の中で事態はなかなか好転しません。
この公害闘争とうそうのために作った連合組織が矢作やはぎ川沿岸水質保全対策協議会、略して矢水協です。
昭和44年(1969)、矢水協の代表が経済企画きかく庁へ陳情ちんじょうに行ったときには、陳情ちんじょう書には目もくれず「日本を担う企業きぎょうつぶすつもりですか」と言われました。これ以来、矢作やはぎ川の水は自分達の手で守るしかないと強く決意、矢水協独自の過酷かこくたたかいが始まりました。
メンバーは昼夜を問わず監視かんし活動を続け、たれ流し工場に乗りんで抗議こうぎ。また地道に汚濁おだくの実態調査のデータを積み上げました。

そして昭和47年(1972)、悪質な山砂利採取3業者を水質汚濁おだく防止法違反いはんで告発(全国初)。矢水協の活動は全国に名をせ、大きな社会的波紋はもんを広げました。
そしてこの運動が広く認められ、流域での開発行為こういについては事前にこの協議会の同意を得るルールが定着。このルールは矢作やはぎ川方式」と呼ばれ、民間主導による流域管理方式のひとつとして全国的に高い評価を得ている。平成10年度には第1回「日本水大賞」にてグランプリを受賞しています。

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