右図は、明治維新(1868年)直後から廃藩置県(1971年)までの期間における安城市域の領主を示した地図です。この時期は江戸時代の旧藩主がそのまま県に移行していたので、江戸時代の領主が誰であったかが分かります。
ただし、右図における静岡藩とは明治維新で朝敵となった徳川本家に与えられた静岡(駿府)藩70万石の領地の一部です。したがって、図の黄色いエリアは、江戸時代までは幕府領や旗本領でした。
現在の安城市のうち、西側の区域(図のピンク色のエリア)は江戸末期の約80年間、東北の福島藩の飛地(離れた領地)でした。
この区域は、元々は刈谷藩の領地でしたが、寛政2年(1790)*、刈谷藩内で百姓一揆(寛政一揆)が発生。幕府より処罰を受けて、2万3,000石のうち1万3,000石が福島藩の領地となったためです。
以来、福島藩は刈谷に重原役所(重原藩)を置いてこの地を治めました。ところが、明治維新の際に福島藩は新政府に反抗したため、本拠にしていた福島の領地は没収され、この重原に国替えを命じられて廃藩置県(1871年)に至っています。
*『安城市史』では寛政4年(1792)となっている。