疏通千里 利澤萬世
理事長ご挨拶
明治用水土地改良区の運営につきましては、組合員をはじめ地域住民の皆様、関係機関の皆様方には格別のご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
明治用水土地改良区理事長
石川克則
明治用水の通水は明治13年(1880)であり、2019年に通水140年を迎えました。国の直轄事業であった安積疏水(福島県)の通水が明治17年、那須疏水(栃木県)は18年、琵琶湖疏水(京都府)は23年であったことや、明治用水が完全なる民営事業であったことなどを考え合わせると、明治用水の先駆性は際だっています。
そして、その後も明治用水の先人たちは、「明治」という栄えある元号を頂いた用水に恥じない、画期的な取り組みに挑んできました。140年を振り返れば、この地域では全国に先駆けて行なってきた事例がいくつかあります。
1)100年以上続けている水源林のかん養
当改良区(当時は用水管理組合)では明治39年に森林経営が議決され、同41年より造林事業を始めています。そして大正3年には長野県根羽村の山林を買い入れ、大規模な山林経営に乗り出しました。今では水源林は525haにまで増加。初代改良区理事長であり「水の神様」と敬われた岡田菊次郎の言葉「水を使う者は自ら水をつくれ」は1世紀にわたって明治用水の理念として受け継がれるとともに、今も最先端の環境思想として全国的な注目を浴びています。
2)日本デンマークとしての隆盛
県立安城農林学校(岡田らが誘致)の初代校長として赴任してきた山崎延吉は精力的な教育活動によって幾多の人材を育成し、この地に先進的な多角経営農業などを定着させました。以来「日本デンマーク」として教科書にも載るなど碧海農業は全国に知れ渡りました。ひとつの農林学校がここまで地域の発展に寄与した例は、全国でも稀ではないでしょうか。
3)用水を利用した小水力発電
今の広畔制水門の地点には、かつて4mの落差を利用した広畔発電所があり、揚水ポンプの動力源にしていました(昭和12年より23年間発電)。昨今脚光を浴びている小水力発電のはしりです。私の知る限り農業水路を利用した全国初の事例です。水源林と並んで、昔からこのようなエコロジー(持続的発展)に徹していたことは改めて注目すべきでしょう。
4)矢作川沿岸水質保全対策協議会(矢水協)の活動
高度経済成長期における矢作川の水質汚染に対し敢然と立ち向かった矢水協。改良区としては全国で初めて水質試験室を設けてデータを集積するなど、終始、矢水協の活動をリードしてきました。このとき確立されたルールは「矢作川方式」と呼ばれ、民間主導による流域管理方式として全国的に高い評価を得ています。
5)パイプライン化による水管理の合理化と地域住民への貢献
明治用水は昭和46年より始まった国営事業を計画変更し、水管理の合理化を目指した水路のパイプライン化に着手しました。管水路の上部は市民のためのサイクリングロードや遊歩道などとして利用するなど、管路化による上部利用として全国のお手本になりました。全長36.3kmのサイクリングロードは、用水利用としては全国最長ではないでしょうか。
6)工業社会への貢献
工業用水としても併用されるようになったのは矢作ダムの完成(昭和46年)からです。以来、西三河は全国有数の製造業王国としても発展を遂げました。現在の愛知県は農業産出額で全国6位(平成22年)、製造品出荷額は32年間連続第1位(同22年)、年間商業販売額は全国3位(同19年)と、農業、工業、商業ともバランスの良い地域に成長しました。
さらに近年では、「水の駅21枚田(児童のための実習田)」「水のかんきょう楽校」「水のかんきょう学習館(環境学習施設)」の設置等々、様々なイベントや企画を通して農地の多面的機能保全に関する教育啓発活動に努めるなど、先人たちに負けないよう日々努力しています。
しかしながら、私どもの力ではどうにもならない経済発展による弊害も深刻さを増してきつつあります。
近年目立って増えてきているのは都市型洪水の増加です。水田は小さなダムの機能を持っており、水田面積が減少すればその分だけ水も行き場をなくし、街に溢れ出します。西三河の急激な都市化にともなって農地の転用も膨大なものになっています。その結果、大雨のたびに排水河川には水が溢れるという典型的な都市型水害が頻発するようになりました。
さらに生物多様性の劣化も見逃せません。ある調査によれば、スズメは1960年代に比べて1/10に減少しているそうです。水田は最も生態系が豊かだと言われる湿地帯と同じ機能を持っていますが、メダカやタニシなども見かけなくなって久しくなりました。多くの生物が姿を消しています。私たちはこうしたことを無意識に時代の流れとして片付けていますが、何か取り返しのつかないものを失っていると思えてなりません。
日本の国土はアジアモンスーンという暴れ馬のような気候に処するため、水田によって国土の開発をしてきました。つまり食糧の保全と国土の保全を水田が担ってきました。したがって、日本の都市社会もまた水田の洪水防止や生態系など多面的機能を前提として成り立っているわけです。
いわば水田や用水路は日本の国土の最も根源的なインフラ(社会共通資本)であり、国土の持続的発展、あるいは循環型社会のための不可欠な資源であるとも言えます。言い換えれば、日本の国土は水田が守っていると言えます。碧海台地もまた水田(=明治用水)によって守られています。
次世代の循環型社会においても、その必要欠くべからざるインフラ・資源が、経済の国際化(=食糧自給率の低下)や食の洋風化(=米消費の激減)などによって蝕まれてゆきます。あってはならないことです。
とりわけ碧海台地は明治用水という先人によってつくられた水資源によって画期的発展を遂げたということは誰も否定できない事実です。そして上述したように140余年かけて当改良区の先輩たちが築き上げてきた精緻な水利システムが、急激な都市化、農業の国際化、米消費の減少、農家の高齢化、そしてTPPなどに象徴されるグローバル経済の進展といった様々な経済的要因によって崩壊しつつあることもまた、まぎれもない事実です。
例えば、下図に示すように、安城市における70歳以上の農家の比率は44%、岡崎市のそれは54%、豊田市にいたっては60%です(いずれも平成23年データ)。
農家のとめどない大量リタイヤという恐ろしい現実が10年後には確実に始まるわけです。まして、TPP参加により日本の水田農業が壊滅すれば、その時期はずっと早まります。
これは農家の賦課金などで運営している当改良区にとって最大の危機であるばかりではなく、明治用水そのものの危機でもあります。そして、明治用水の危機はとりも直さず碧海台地の危機を意味するのではないでしょうか。
さて、いささか悲観的なことを述べてきましたが、水田、および明治用水は碧海台地の持続的発展、循環型社会における最大のインフラであり、不可欠の資源であることを、市民の皆様、そして行政関係者各位において強く再認識していただくことを心よりお願い申し上げます。
「疏通千里 利澤萬世」――― 明治用水の完成に際して時の内務卿、松方正義から贈られた言葉です。水路を通すこと千里、その恩恵は万世におよぶ。水をつくり、水をまもり、水田社会を次世代に継承する。このことが、輝かしい先人たちの業績に劣らない私ども明治用水土地改良区の最大の使命だと心しております。
最後になりましたが、組合員の皆様、市民の皆様、関係機関各位の尚一層のご指導、ご協力を賜りますようお願い申し上げ、ご挨拶といたします。